なぜ青海省の「貴徳」に行くことにしたのか

青海省の貴徳は日本人が殆ど行かないところである。もし、ここに来た日本人をカウントできたら
私は三人目位であるかもしれない。残念なことに一番目ではなく、何人かの日本人が既に訪れた
形跡が有る。貴徳を僻地とか辺境と言うには適当ではないかもしれないが、貴徳は青蔵高原と
黄土地帯が接する荒涼とした乾燥地帯にある。貴徳には黄河が流れていて、その黄河を渡り
青蔵高原に入る交通の要衝の地でもあったらしい。貴徳の黄河は澄んだ青い黄河であった。

貴徳の街はチベット族や回族が住むとこでもある。当然漢族も多く住んでいるが、貴徳の
地理的役割は、昔から異民族を監視する前進基地であったかもしれない。
回族については100年以上前に大反乱があった。今は回族よりチベット族に対して、
注意を怠らないようにしているのかもしれない。貴徳からは日月峠を経て青海湖に
抜けられる。

貴徳には青い黄河のほかに、珍しくも赤い地層がある。そして貴徳の街は意外にも
由緒ある古い街であった。それで
青い黄河と赤い山、貴徳の古い街は
世界文化遺産に匹敵するくらいのものである。

それならば世界文化遺産に登録できるのか? そうならないと思う。赤い地層は中国語で丹霞地層と
言うのだが、中国人はここほども赤くない中国南部の貧弱な丹霞地層を、既に世界遺産に
登録している。中国人は青海省や甘粛書などには関心が向いていないようである。

私がそんな貴徳の街を見つけたのは、アンダーソン博士の古い著書を読んだからなのである。

アンダーソン土器とはこんな紋様のある土器。5500年から3600年前位のの土器


そもそも私はアンダーソン博士が発見したアンダーソン土器を多数収集していて
アンダーソン博士の研究にも興味があった。アンダーソン博士は北京原人の発見に関係した人であり
中国で初めて土器を発見した人でもある。アンダーソン博士は西アジアのアナウというところで彩文土器が
発見されたという論文を読んで、その彩文土器が西から中国に伝播したのではないかと考えたのである。

そしてその伝播の経路は甘粛省蘭州あたりの黄河を越えて、中国に伝播してきたのではないかと
想定したのである。その思い付きを実証すべく、アンダーソン博士は甘粛省、青海省の黄河上流の
考古学調査に出発した。1923年のことであった。

青海省の青海湖の周囲を調査した後、西寧の南にある「貴徳」と言うところに
行って、「羅漢堂」と言うところで、遺跡を発掘して彩文土器を発見し成果を収めた。
アンダーソン博士の黄河上流地帯に彩文土器がたくさん出土するという予想は的中したのでである。


アンダーソン土器を沢山収集したが、画面左下の物は、今回の旅行で手に入れたもの。
それは5000年位前の物で、蛙のような動物紋がある。


以上のことはアンダ―ソン博士が書いた「黄土地帯」(日本語の訳の初版本は昭和17年発行)に
書かれていて知ったのだが、貴徳の光景についても書かれていて、「23日には早くも貴徳付近に
於ける黄河の素晴らしい光景を望むことができた。視野のうちにある60マイルの黄河の景観は
晴れ渡った朝の光の中に珍しくも美しいものだった」と貴徳の黄河の美しさについて書いている。

また渓谷が美しいことにも感動して「この渓谷景観の雄大さにしばし恍惚としたのだった。
ロッチーは貴徳における渓谷景観を北米のグランドキャニオンに比しているが、
事実その類似は極めて顕著である」とも書いているのである。

アンダ―ソン土器を発見したアンダーソン博士が行った貴徳が、そんなに美しい所であるならば、
是非行ってみなくてはと、中国語のネットで貴徳についていろいろ調べてみた。
そうすると貴徳には確かに美しくも青い黄河が流れていて、阿什貢(アシ―ゴン)と言うところに
丹霞地貌という赤い山が有ることも分かった。また貴徳は古い楼閣や廟などが残っていて
古い街であることも分かった。と言うわけで貴徳にはほかでは見られない光景があることが分かり
どうしても貴徳に行きたくなったのである。



青海省・西寧の長距離バス発着所。ここから貴徳行のバスに乗る。貴徳まで2時間半、
110km。拉鶏山という富士山より高い峠(3820m)を越えていく。


峠に登る前の車窓から。市場の様子。


ここは最高点の拉鶏山という峠なのだが、乗合バスだからいい席が取れなかった。
だからいい写真が撮れない。


3820mの拉鶏山という峠にあるものは、チベット族の祈りの為の
旗のようなもの。チベット族地帯の峠には必ずあるものである。


何とかバスの中のチベット人や回族の乗客の頭を避けて写真を撮る。


バスが貴徳に近づくに従って赤い山が見えてきた。


これが丹霞地貌という地形らしい


場所はバスが黄河に出る前のアシ―ゴンというところらしい。貴徳はもうすぐ。








バスの中から撮ったにしてはいい写真が撮れた。
バスから写真を撮るには、いい席を確保しなければならないのだけれど
乗合バスでは難しい。





これはバスの中から撮った写真ではなく、改めて阿什貢(アシ―ゴン)の
丹霞地貌を、タクシーをチャターして撮りに行った時の写真。



これも阿什貢(アシ―ゴン)の風景であるが、アシ―ゴンと言う地名は
チベット語であるらしい。
やはりタクシーをチャターして写真を撮りに行った時のもの。


貴徳の青い黄河。貴徳大橋(?)の上から撮った。





ここの黄河は黄河であっても黄色くないのである。














青い黄河と阿什貢(アシ―ゴン)の丹霞地貌。黄河の対岸までタクシーで
行って青い黄河と赤い山を一緒に撮った写真。タクシーの運転手に行先を
説明するのは難しい。地図で説明したが
自分の住んでいるところの地図なんて見たことが無いのかもしれない。



貴徳の街の中心に残る玉皇閣という古い建物。


他にも古建築群がある。


花は梨の花。向うに土塁が残っている。街の街の中心部に土塁に
囲まれている部分があり、その中に
玉皇閣などの古建築群がある。



丁度のこの時期は貴徳の梨の花が満開で、梨の花祭りのイベントがあった。


チベット犬。今まで見たチベット犬で一番立派な犬だった。チベット犬の写真を
検索するといろいろのチベット犬がいるらしいが、私が現地で見た限りでは
このタイプが典型的なチベット犬だと思う。


貴徳の中心部にある城門


城門の奥にある玉皇閣


郊外にある文昌宮と言う古い廟。仏教のではなく道教のお寺である。


チャーターしたタクシーの女の運転手に、チベット人の家を見たいと言ったら、
チベット人の家に案内してっくれた。室内は簡素でとても清潔な感じがした。


本当はもっと田舎のチベット族の家を見たいと思ったのだけれど。
ここは市内のチベット族の家だった。


写真を撮らせてほしいと言ったら、チベット服を着てくれた。
ここのチベット人は貴徳の街の家だったから、チベット服も
簡素というか、街の外に住むチベット族の服と違うようである。


チベット人の家。これは街の中のチベット人の家である。
旗のようなものはタルチョと言い、チベット族のシンボルのようなもの。
おばあさんと娘さんの写真を撮ってあげて、写真は送ってあげた。
住所は娘さんが漢字で書いてくれた。チベット人は名前だけで姓が無いようである。


郊外にあるチベット仏教の寺





ラマ教の寺に参拝に来たチベット人。服装から見て遠くから来た人らしい。


貴徳から郊外に出ればこんな黄土高原



回族による羊の吊るし切り。羊は多いが、豚はこの辺りに絶対にいないと思う。
イスラム教徒にとって豚は絶対的なタブーであるから。


貴徳から西寧に戻るバスの中から。5月であるのに雪が降った。


貴徳から西寧に戻る路の最高点


チベット族地帯の峠には必ずあるチベット族のタルチョ。








貴徳から西寧迄110㎞。2時間半



貴徳に行くには青海省の西寧から長距離バスで110㎞2時間半もかかり、富士山より高い
峠を越えて行かねばならないのだが、それだけの苦労をしても行く価値のあるところだった。
しかしアンダーソン博士の言うように「60マイルの黄河の景観」を一望できるところは
見つからなかった。60マイルと言えば100㎞近くの黄河の長さである。
また渓谷美についても、「周囲の高原と足下の黄河との高低差は殆ど1000mにも近い」と
書かれていたが、そんな高低差があるところも見つからなかった。1000mの高低差があれば
確かにグランドキャニオンに匹敵すると思うのだが。
アンダーソン博士の表現は誇張であったのだろうか。それとも私が探し出せなかっただけなのだろうか。

なおアンダーソン博士が発見した「羅漢堂遺蹟」は、遺跡は貴徳の街からかなり遠い所にあり
遺蹟に行っても何もないだろうと思ったので、遺蹟には行かなかった。
しかし、資料によれば新石器時代の以来の古文化の遺蹟は、
この辺りの黄河両岸に300個所以上も有るのだとか.。

ちなみにアンダーソン博士の説、西アジアの彩文土器が中国に伝播したと言う説は
現在では否定されている。しかし青海省、甘粛省の黄河上流地帯の彩文土器の文化の
殆どは、アンダーソン博士が発見した文化なのである。

貴徳の位置を Google の地図で表示してみた。地図を縮小したり、地形図にしたり、写真にしたりして、
貴徳の位置やどんなところかを確認してもらいたいのだが。そして写真にして拡大していくと
貴徳の城壁も見えるはずなのだが。更に貴徳の周辺も見てほしい。こんどは
地図を縮小していけば、
周囲は緑の少ない黄土高原であることがわかるはずである。
アンダーソン土器が出土するのはこんな黄土地帯の高原である。


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